今回も抽象度の実践的活用法でお話しをしますが、まずは〈その1〉にて抽象度の基本を理解した上で、この話を読んでいただけると一層理解が深まると思いますので宜しくお願いします。
先ず最初に皆さんに質問があります。それは、
自分の将来に対して何をやれば良いのかよく分からず、希望を持つことができないと感じたことはないでしょうか?
あるいは仮にやりたいことがあったとしても、これで良いのかどうか確信が持てず、なかなか集中して取り組むことが出来なかったという経験はなかったでしょうか?
いろいろな答えがあると思います。
私は不徳の致すところですが、今までそんな経験をたっぷりしてしまいました。長い間やりたいことに確信が持てず、あっちへふらふら、こっちへふらふらすることがよくありました。
そんな自分のやりたいことに対して確信が持てなかった時、私はある書籍と巡り会い、自分の人生のゴールの設定の仕方が変わっていきました。その書籍の中の抽象度の高い一文によって自分の思考が大きく変わっていったのです。
その書籍の名前はヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』です。非常に有名な本なので知っている方もたくさんいると思いますが、彼はナチスのアウシュビッツの強制収容所という極限の状態から生還した数少ない人物の一人で精神外科医だった方です。
この『夜と霧』と言う本の中で、有名な一文があります、それは
あなたが人生に何を求めるかではなしに、人生があなたに何を求めるか
その当時この文章を何度か繰り返し読み返したのを今でも覚えています。自分が人生に何を求めていくと言う考え方は普通ですが、人生があなたに何を求めているかと言うアプローチは何か大きなスケールで自分のやりたいこと、あるいはやるべきことを考えるきっかけになったと思います。
人生と言う言葉には、単に現在起きている出来事だけにとどまらず、未来に起こるであろう出来事、また過去に既に起きた出来事、全ての時間軸の出来事を包括する抽象度の高い言葉だと私は思います。
その人生から自分が何を求められているか?
視点を自分中心に置くのではなく、人生からの視点に置き換えることによりスケールの大きい思考空間から自分の存在意義を捉え直していくことが出来るようになります。
自分の身に起きた過去の苦しい出来事、現在起きている今まで予期しなかった出来事、そして未来こうなっていきたいという強い気持ち、その一つ一つの出来事が、そしてその一つ一つの感情に何か意味があるものではないかそういう思考に変化していったのです。
その一つ一つの出来事、そしてその一つ一つの感情が一つのまとまった形になっていく時、人生に対する強いこだわりが生まれ、自分だけの欲にとらわれない、利他の考えが芽生え、自分の思考のスケールが大きく様変わりしていく、これが使命感と言われるものかもしれません。
抽象度の高い思考によってこの使命感を持つことが可能になり、この使命感によって人は大きなエネルギーを与えられポテンシャルを最大限に発揮できるようになります。抽象度の高い思考により自分と言う小さな世界にとらわれないスケールの大きい思考が可能になっていくのです。
仮に今自分がやりたいことが見つからない場合、
あるいはやりたいことに確信が持てない場合、
この抽象度の高い思考で人生から何を求められているかと言う視点に切り替え、自分のゴールを設定していくのも面白いかもしれません。
視点を切り替えることにより、思い出される出来事も変わってきます。思い出される出来事が仮に同じだったとしても、その捉え方が変わっていきます。
皆さんがこの抽象度の高い思考によって、より大きなスケールで自分のゴールを描き、自分が何を得るかという視点だけではなく、周囲へ何を与えることができるか、利己と利他の視点からバランスよくゴールを設定されることを期待しています。
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