占いは見ていて楽しいし面白い。
私は占い師に自分を見てもらった事はないが、占い本を時には自分の運気を予測する上で参考にさせてもらっている。何か新しいチャレンジを始める時期は必ず占い本の情報を確認している。
占いに対しては人それぞれとっている距離が違うと思う。全く信じない人もいれば、まあまあ信じる人もいるだろうし、常に占いを参考にしている人もいると思う。人それぞれのスタンスがあって良いと思う。
ただ一つ真剣に冷静に考えてほしいことがある。
なぜ人類が誕生してから長期間にわたり占いが残っているのか?人類最古の文明であるメソポタミア文明の遺跡からはかなり多くの占星術に関する文献が発掘されているらしい。
人類の歴史の中で役に立たないものは全て消え去る運命にある、ただ占いはしっかりと地位を確立し今ても残っているのだ。様々な占いがあるだろうから、素人の私がとやかく言う権利はないが。
例えば中国で四千年の歴史がある四柱推命。あの中国の生き馬の目を抜く激動の歴史の中で、その地位をしっかりと確立し今でも残っている。
日本人にはなかなか分からないが、私の知り合いの台湾人は簡単に自分の誕生日を相手に教える事はしない。なぜなら自分の運気が相手に読まれ利用されるから。
或いは自分の子供が生まれる日時を調整できるなら調整している。それでその子供の運気に影響を与えるから。日本人には分からないが、台湾では今でもしっかりと占いが日常生活の中で根付いている。この事実だけは知っておいた方が良い。
常識で考えれば中国の4000年の歴史の中で中途半端なものが残るわけがないと思うのは私だけだろうか?
人が生きるか死ぬかその極限の状態の中で何を信じれば良いか、何を頼りにすれば良いか、つまり人の血と汗と涙の結晶が占いと私は考えている。
だからといって常に占いを確認しろと言う意味ではない。私の利用の仕方は何か大きな物事を始めるタイミング、それを終わらせるタイミングを見計らう時必ず占いを確認している程度。或いは自分に向いているもの向いていないものを確認するために利用している、あくまでも参考情報だ。
人それぞれの考え方があると思うが、世の中には人がとてもコントロールできない自然の大きな摂理が働いていると私は思う。
その摂理とは人の運気の流れと思ってもらっても構わない。やはりその運気の流れに乗るのと乗らないのでは大きな差が出てくる。その大きな運気の流れを確認する為に私は肝心な時占いを必ず確認している。
私の敬愛する作家が占いをこう表現した。
されど占い、たかが占い
正しく至言だと思う。
占いに頼りすぎるのもいけないし、だからといって占いを全く無視するのも人生味気ない。
適度な距離を保ちながら、人生迷いに迷いどうすべきか分からない時は占いの情報を参考するのも悪くはないと思う。
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